
| あと何回のお引っ越し |

| 05/11/12 |
| 1975年 大学入学と共に初めて実家を離れて一人住まいを始める。 「南河内郡河南町」 いったいどういう場所なのだろう・・・。 降り立った駅は「富田林」とみたばやし、ではなくとんだばやし、である。 駅前はほとんとほ変っていなかった。改札出て右側にうなぎの寝床のようなバス乗り場。 「ジャンボ」なスーパーは相変わらず存在した。ダイエーもPL教団の奇っ怪な塔も・・・。 30年の時間が経っているのだろうが・・・軽く目眩を覚える。 |
| 入学した大阪芸大から徒歩10分。 「内田学生マンション」に入室。30年前とほとんど変らない姿が眼前に現れた。 外壁は塗装し直しているが扉や窓は当時のまんまだ。 入居した108号室もあった。今も誰か住んでいるのだろうか? 家賃は5000円だったか? 洗濯場や風呂場も当時のまま・・・。 2年目からは二間の部屋に移動したが今は別マンションとなっていた。 暗証番号がないと部屋に入れなくなっている。 このマンションには光ケーブルが来ているようだ。 風呂無し6畳の部屋に勧誘するにはそのくらいの付加価値がないと 今の時代まず入居する学生は居ないだろう。 裏手を流れる田んぼの用水も30年前と変っていなかった・・・。 |
| 芸大前の駐車場へ移動する。 交通量が激しい。 丁度喜志駅行きバスが来た。 喜志駅は富田林駅と比べるとたいそう変っていた。 |

| 05/11/12 |
| 1977年、 大学2回生の時に藤井寺に引越しした。 駅からバスで10分くらい。今回は一本乗り越してしまった。 大きな分譲マンションが建ってすっかり様変わりしていたが 住んでいたアパートの裏手が銭湯だったので煙突を目印に歩き回っていたら見つかった。 当初は両隣が同じ映画研究会の仲間だった。家賃は13000円だったような。 当時でもボロアパートだったが28年経って今もまだそのまま残っているとは驚きだ。 ましてや住んでいる人間がいるとは・・・・。 二階へ上がる階段はいつ折れるか分からない状態だった。 この階段が折れたとき、このアパートも閉鎖されるだろう。 |
| 藤井寺駅までは自転車で通った。 その道中はあまり変ってはいない。 8_映画を撮った場所を次々と思い出して行った。 商店街はかなり寂れた感じではある。 当時よく行った「ジャックと豆の木」という喫茶店は潰れたのか見つけられなかった。 「寿がき屋ラーメン」が懐かしい・・・。 |

| 03/08/31 |
| 1979年 大阪の大学を卒業して東京に出てきた。初めて住んだのが西新宿である。 「思い出横丁」は当時も今も変らない。「鯨カツ」専門店が当時は未だあり何回か食した。 新宿大ガードの横を青梅街道沿いに歩き歩道橋の横を曲がるとお墓がある。 その横を真っ直ぐ突き当たりまで毎日歩いていた。「若プロダクション」が現在も在ったのには驚いた。当時は多分芸能プロダクションだと考えて「ナウいギャル」とバッタリ出会わないかとすこし注意して通り過ぎたものだ。 酒屋は何度か買った覚えがあるが当時はほとんど飲まなかった。 |
| 突き当たりは中学校だ。それを右に折れて50b先の右奥が東京で初めて住んだアパートである。一階が住居で二階を貸していた。4畳半、窓が二方にあって日当たり良好。最初に案内された不動産の話によるとそんなアパートは西新宿では珍しいらしい。で、即決した。 引越しの翌日、階下の大家さんに朝食をご馳走になった。ハムエッグだった。東京は怖いところだと思っていたがイヤイヤ、どうして。今はもう亡くなってられるだろう。 |
| 当時は歌舞伎町の映画館でモギリと売店のバイトをしていた。日本唯一の洋画のピンク映画封切り館で名前は確か「新宿地球座」。映画が変るとビル横のポスターを変更しないといけない。 通りに出て脚立に乗って新しい洋ピンポスターを貼り替えるのは非常に恥ずかしかった。 「青春の蹉跌」で桃井かおりが入った「噴水」も安全上の問題だったかで埋められてしまった。 西新宿には確か一年も住まなかった。この後再び大阪に戻っていくのだった。 |

| 03/09/29 |
| 1981年 大阪から再び東京に戻って来た。 ただ地震が怖かっただけの理由で多摩川を越えてすぐの登戸(のぼりと)にアパートを借りた。JR南武線との乗換駅に過ぎない登戸駅前は、20年前からほとんど変っていない。 駅前再開発もここには無用なのだろう。 当時日曜日毎に浜松町まで結婚式の撮影のバイトをしていた。朝早かったのでいつも完徹で行っていた。バイト終え、疲れ切って駅を降りて夕食は決まってこの「京樽」で「にぎり」を買った。部屋にたどり着き完ビールと一緒に寿司をパクついて泥のように眠った。 南武線の踏切の横道で当時のジャニーズのマッチとトシちゃんが映画の撮影をしていた。 何故かどぶ川の印象が強く残っているようだ。 |
| 住んでいたアパートは確か6畳と4畳半、台所、風呂無しだった。 現在は取り壊され新しいマンションが建っていた。 一階の大家さんの隣に住んだ。定職無くバイトしながらの荒んだ生活をしていた。 この部屋で大学の後輩と三日三晩麻雀を昼夜逆転で過ごした。 数日後、隣の大家さんから「出て行ってくれ」と言われたのだった。 歩いて5.6分の距離に多摩川が流れていた。 ある夏の日、多摩川で花火大会があった。完ビール片手に一人で土手に座り遠く打ち上げられる花火を見ていたのを覚えている・・・。 |

| 04/12/26 |
| 1983年 登戸から吉祥寺に引っ越した。 放送局のバイトが忙しくなり渋谷から一本で通えるので吉祥寺を選んだ。 当時はだだ寝るための場所で良かったので四畳半、トイレ共同で\17000だったか? 20代後半から30代の一番思い出深い場所である。 パルコ前の道を三鷹方向へ一直線に約25分。 成蹊通りを横切って一本右に入った場所だった。不動産屋に最初に紹介してもらった物件だったが道順が分かりやすいのが気に入って即決した。 ただ就職してなかったので大家さんの信用を得るため預金の残高のコピーをくれと不動産屋に言われた。 この一直線の道を5年の間何百回も往復したはずなのだが思い出はほとんど無い。 たぶん渋谷新宿で遊んでまさに寝に帰るだけだったのだろう。 住んでいたアパートは閉鎖されていた。 今時風呂無し四畳半は入居者がいないのか。何故か感慨はなかった。 |
| その後武蔵境に住んでいる大学時代以来の友人H君と一年半ぶりに会う。 そして前回も行った定番の焼き肉屋へ。 H君はアニメ関連の仕事をしているのだがそろそろ引退を考えているようだ。 体力的にも無理だしフリーになったら収入はがた落ちになるだろうと。 いろいろ考えて大学の修士を目指す方向らしい。 H君食も細くなりビールも以前あったときと比べてピッチが落ちていた。 その後ショットバーに行って二杯ずつドライマティーニとソルティードッグを飲み干す。 駅前で別れを告げたのは未だ午後8時前だった。 |

| 03/06/16 |
| 1980年代末 日本にバブル景気が始まりだした頃、実家から突然マンションを購入せよ、 と言って来た。実家の近くに住んでいた長女が独逸に移住するため将来を考えて長男に家を買い与えて置こうとしたのだった。そして88年、分譲マンションを購入した。 これが9度目の引越しとなった。 結局88年10月より00年9月まで12年間住むこととなった。 3年振りに池袋から東武東上線に乗ってそのマンションを訪ねた。現在は不動産屋を介して他人に貸している状態である。 3年振りの志木駅は大層変っていた。 北口側はみすぼらしい出口でしかなかったのだが今は駅直結のテナントビルが建築されていた。またさらに左側には丸井も新しく建っている。変ってないのは駅の改札近くにある立ち食いうどん屋である。12年の間数え切れないほどに利用した。定番「ちくわ天うどん」が健在で嬉しかった。 |
| 駅南口前も変っていた。 埼玉銀行は国有に変りビデオレンタル屋は吉野家に。正面のビルも改築されていた。 当時の晩飯抜きの仕事帰り、駅周辺で10時過ぎまで開いている飲食店はなかった。 この焼き肉屋(当時の店名は毘沙門天)で一人焼き肉を覚えたのだった。 この総合病院には腰痛で5日間入院した。生まれて初めての入院であった。 駅前からの一本道を当時は自転車で通っていた。 「ジョナサン」のモーニングは美味しかった。駅から20分ほど歩くと大きな貯水タンクが見えてくる。この辺りの象徴的建物だ。昔はペイントは無くコンクリの地肌であった。「万世」のステーキの味は、いまいちだった。 |
| 中学校の隣が12年住んだマンションである。 165世帯、10階建て。ここの9階に3LDKの部屋に住んでいたのだ。 それ以前は4畳半一間、トイレ共同、風呂無しに住んでいたのであまりの広さに落ち着かなかった。それまで4畳半の荷物で済んでいたので当初はスカスカであった。 当時バブルが始まり会社では人手が足りずに大学の後輩を呼び寄せた。89年の年明け、昭和天皇崩御の日から大阪の後輩との同居が始まった。さらにもう一人加わり一時期社員寮の様相を呈していた。月に一度は焼き肉やしゃぶパーティーを友達と催し「朝生」をつまみに大酒喰らっていたものだった。 その後同居人達は結婚したりして去っていってまた一人住まいになった。やがて腰痛を患ったりして通勤が辛くなり仕事場の近くに事務所を借りる事になっていくのだった。 |
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